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燃え尽きてしまった時は、これからのことを願うよりも、これまでのことに感謝する方が大切なのかも

過去に何回か、コラムなどでも紹介してきた「占いを始めたきっかけになったエピソード」があるのですが、今回は改めてその話を深堀りしていきたいのです。聞いて下さい。

僕はこれまでの人生の中で、最大限の「燃え尽き」を二回体験しました。それこそ、小さな燃え尽きについてもたくさんしてきたのですが、大きな燃え尽きに関しては、「ただただ、寝ていたい」みたいな感じで、殻の中にスッポリと入ってしまったかのような感覚を受けてしまったのを覚えています。

20代前半の頃に体験した大きな燃え尽きについてなのですが、当時の僕は学校は卒業できたものの、就職活動なんかにはすべて落ちて、「これから」について頑張っていく気力が全部なくなってしまったのです。

これ、リアルな感覚で思い起こす方がいたら申し訳ないのですが、なんとなくなんですけど、自分自身が「燃え尽きに向かっていく、下り坂を降りていっている感覚」は、すごくわかったりするじゃないですか。

「あ、なんか谷の方に降りていってしまっている」

とわかりつつも、その「下降」に対して、何も対策とか対応ができない自分が出てくる。何かもう、そこまでの過程で気力とか体力とか、頑張るためのエネルギーを使い切っちゃった感覚のみを感じてしまうような時。

だから、自分なりに「燃え尽き」という谷底にたどり着いた時に、「やっと終わったか」と思ったり、「やっぱり、こうなったか」と、諦め半分で感じてしまったりもする。

これは実体験としてもすごく感じるのですが、自分が何かの「燃え尽き」とか、あと、「なかなか下降路線から抜け出せない」と感じた時に、現実的な処方や対策をしていくことがもちろん大切になります。

でも、その一方で、「どういうやり方で抜け出せば良いのかわからない」と感じてしまっている時は、一度、「人生の仕切り直し」として、神社仏閣などにお参りにいくのはすごく有効だと僕は考えます。

今回のコラムはその「燃え尽きやどん底からの脱却の際のお参り体験」も含めて、「燃え尽きた時に、自分が何を思い、何をやったか」についてどうしても書いていきたいのです。

20代前半に、色々なことがあって、人生に燃え尽きてしまった時に、僕は不思議と「あ、お礼参りに行かなきゃ」と思ってしまったのです。

「なんでそう思ったのか?」というと、僕なりの理屈がありました。

通常、「燃え尽きた時」というのは、「今後のこと」とか「これからのこと」の方を心配しますよね。「どうやってまた頑張っていこう」とか「何かしなきゃ。やばいやばい」とか。

だから、神社とかお寺に行くにしても、「今後のためのお願いをする」のが通常パターンなのかなと思います。

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