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口角を1mm上げるのがツラいと感じる時

何回も書いている話で恐縮なのですが、僕は疲れてくると中国の方とかタイの方がやっているアジア系の食堂に行ってひとりでご飯を食べてきます。

もちろん、日本の人向けにフレンドリーなお店は増えましたが、あの潔いぐらいの「サービスとして、お客に笑顔を向ける必要性がない環境」にすごく癒されるのです。お店→料理を出すところ。客→飯を食いに来た人。それで関係が成り立っているし、過度のサービスはしない。放っておいてくれる。店員さんが常連さんだけには「いらっしゃい!」と言って笑顔になる瞬間も特別感があって大好きです。

なんでこの話をしたかというと、タイトルにもあるように「口角を1mm上げるのがツラい」と感じることって、ないですか?僕はたまにあります。誰かとの会話で「あんまり面白くないな」と思っても、「うん、そうだね」と少し笑顔を添えて答えなければいけない時とか、仕事関係で「あー、そうですよねー」と言って、相手に追随しなければいけない時。

僕自身は「疲れ」はこういう部分に出ると思っていて、元気な時や気持ちが乗っている時というのは、「口角を1mm上げる」ぐらいなんでもないのです。社会を生きていくための演技とか、作法みたいなものが自然に出来てしまう。

でも、その「口角の1mmを上げること」などに疲労を感じてきたら、今の自分の生活で何を犠牲にしているのかを少し検討しなければいけない。

なんで口角を上げることにそんなに疲労感を覚えるのか。そして、アジア系の食堂に行くとそれをやらなくて良い癒しに包まれるのか。それは多分、笑顔になることも、口角を上げることも、「あなたに敵意はないですよ」、「この場所は良い場所ですね」、「あなたの話を歓迎してます」、「私は楽しいです」という、相手や周りへの(少し過度な)同調行為だったりするから。

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